ふくろう通信

平成23年 8月 5日
米山 昌英

あかつきの白百合ばかり
            ゆれており  (龍沢寺 中川宋淵老大師)



「ふくろう通信」の由来を教えて欲しい、という問い合わせを頂いた。
元々この「ふくろう通信」は、社内報の代わりに普段親しく話も出来ない従業員の皆さんとご両親に、少しでも会社の考えていること、知って欲しいこと、理解しておいて欲しいこと、等を私の言葉で直接伝えたいと考え、毎月の給料袋の中に入れて渡したのがそもそもの始まりである。

タイトルの「ふくろう通信」のふくろうは、ギリシャ神話では、智慧の鳥として登場し、現代でも“倖(しあわせ)を呼ぶ鳥”として知られ、ふくろうのグッズ類を収集しているマニアが多いと聞いている。レターヘッドに幸せを運ぶ鳥のふくろうの絵をデザインした。デザインは、後に京都の清水寺の襖絵を書いて有名になった風の画家中島 潔さんにお願いした。

平成3年11月25日から月一回のペースで書き始めて、平素考えていること、見聞したこと、感じたこと等を出来るだけ平易な文章で、わかり易く書いて読んで頂く様に気を使った。最初は「一年くらい続ければ良(い)いかな–––。」と思っていたが、意外にも反応が良く、特にアルバイト学生さんの親御さんがとても喜んで下さり「子供がアルバイトしている会社のことが良く判ってとても安心できる。」と好評を頂いた。その後、当社がお世話になって居るデベロッパーの社長さんや重役さんにもお送りするようになった。結局6年間、72回の長きに渉って続けることになってしまった。

70回目のふくろう通信を郵送したある日、私は、経営コンサルタントの一倉先生の社長セミナーに参加していた。昼休みに「一倉先生が呼んでいます。」と係りの者が私を呼びに来た。その日も相変わらず800人近い人が勉強会に出席していた。「何の用だろうか」と不思議に思ったが、おっとり刀で先生の控え室を尋ねた。
「米山君、あんた、もの書きではないだろう、ふくろう通信なんか、もう止めなさい。そんな時間があるのなら事業経営のことをもっと真剣に考えなさい。」と厳しく言われた。
ふくろう通信は、平日の仕事を終わらせた遅い時間に、ひと月に一回、3時間位かけて作文するので、そんなに会社の仕事を犠牲にしているつもりも無かったが、言われて見ると何の弁解も出来ない。姿勢の問題である。 私は確かにもの書きではない。
「このふくろう通信をとても楽しみにしている社員とアルバイトのご両親がおります。また会社の社内報のつもりで書いているので、会社にとって必要ではありませんか。」
と喉から声が出掛ったが、言葉にならなかった。貫禄負けである。
一倉先生のギョロッと人を射るような鋭い眼差しと、きらっと光る切れ長の目に見つめられると情けなくも反論の一つも出来ずに、すごすごと引き下がらざるを得なかった。

あと2ヶ月で丁度、満6年になるという時期を迎えていたので、そろそろ手仕舞いをする時かな、と先生の意見に随うことにした。 「ふくろう通信」には、忘れがたい思い出が沢山あるが、特に心に残る後日談を紹介したい。
連載を止めて、何年か経ったある日、このふくろう通信のご縁のお蔭で、嬉しい劇的な出会いが実現した。
その日、本厚木の斎場で小田急電鉄に勤務していたある方の告別式が行なわれた。生前、ご縁の薄かった方でもあり、お別れ会にはご遠慮してもいいかなー、と迷いながらも参加した。告別式が終了した後、旧知の知人に誘われて近くの蕎麦屋で昼食を取ることになった。
店内は比較的空いていた。大きな大テーブルに先客が6人くらい座っていた。告別式に参列した同じ小田急電鉄の幹部の皆さんであった。
それぞれに名刺を渡してご挨拶をした時、私の前に座っていた黒の喪服の良く似合う品の良い御婦人が、私の名刺を食い入るように眺めながら、 「もしかして米山さんって、ふくろう通信を書いていた米山さんですか。」といわれた。思いがけないところでふくろう通信の名前が出て、ビックリした。
「私は、澤と申します。主人が生前、大変お世話になりました。毎月主人が、米山さんの書かれたふくろう通信を自宅に持って来てくれました。とても楽しみに読ませて頂きました。」ということだった。
ご主人は、将来を嘱望された人望ある役員さんであった。実に懐の深い魅力にとんだ素晴らしい方でもあった。私はこの澤さんが大好きであった。入院されたということを聞いて間もなく、忽然として惜しまれながら逝ってしまった。あまりにも早いお別れだった。私はお見舞いに行くことも、お目にかかることも叶わず、お通夜のとき、大勢の会葬者の一人としてお別れをしただけで終わってしまった。私は悔いが残り、ずっとそれを負い目に思っていた。
「一度お墓参りをしたい。」といつも心の隅に後悔の念が残っていた。図らずも不思議なご縁に導かれて、奥様にお目にかかる事が出来たのだ。
「きっとご主人様のお導きですね。」と、「ふくろう通信」が結んでくれたご縁に感謝した。その後、奥様にも御子息様にも親しくお目にかかる機会が出来て、心の憂いも晴れた。存外、世の中には無駄なもの、無用なものは無い様である。


米山 昌英