ふくろう通信

平成24年 1月 5日
米山 昌英

老松のそよりともせぬ
            龍の春 (三島・龍澤寺 中川宋淵老大師)


穏やかな元旦だった。
何物にも代え難い静かな、ありがたい新年の幕開けである。

明るい日差しを障子(しょうじ)越しに受けながら、炬燵(こたつ)の中で配達されたばかりの年賀状を、一枚一枚めくりながら主人公に思いを馳(は)せるひとときは、誠に至福といわねばならない。
国立(くにたち)に家を建てた最初の元旦の朝、門のチャイムが鳴った。出てみるとバイクに乗った管理職風の郵便配達人が、「おめでとうございます。年賀状です。」といって、抱え切れない程の分厚い束になった年賀状を、わざわざ玄関まで届けて呉れた感激と驚きが、昨日の事のように思い出される。

今年も年賀状を1,500枚近く頂いた。やはり年賀状を沢山戴くのは、新年にお年玉を頂くようで、幾つになってもうれしいものである。
昨今は虚礼(きょれい)廃止(はいし)とか言って、年賀状無用論を唱える意見があるようだが私は断固反対である。
50円の年賀はがきに込められた、書く人の思いやりの心は、電話やメールやFAXでは得られない情感が込められていて、読みながらいつも何ほどかの感慨を抱かせて呉れるものである。
頂いた年賀状を見ていると、それぞれに個性が有ってとても楽しいものが多い。皆それぞれの人生に、こだわりを持ちながら生きている様(さま)が感じられ「この人も頑固にやっているんだな。」と妙に感心してしまうのである。
しかし何といっても人肌の温もりを感じる年賀状は、肉筆に勝(まさ)るものはない、というのが私の持論である。
印刷だけの年賀状はやはり味気(あじけ)ない。字の上手(じょうず)下手(へた)は別問題であり、やはり書く人の暖かい温(ぬく)もりが、そこはかとなく感じられるものであって欲しいと思うのである。
それにはどうすれ良いか、私は、ほんの一行か二行で良いから、添え書きをすることだと思う。私はそう信じ頑(かたく)なに続けて来たし、今後もそう有りたいと願っている。 ところで私の年賀状は、いつも風の画家、中島潔さんに特にお願いして、年賀用に描いて頂いたものである。もう35年間もお世話になっているのである。
年末にかけて、中島さんの凄(すさ)まじい仕事の量を知っている私は、いつも尻込みをしてしまうのだが、ずっと先生のご厚意に甘えて来てしまったのである。

ところで年賀状について、忘れがたい懐かしい思い出が一つある。
会社を辞めて、自分で独立をしたいと思っていたある時、私は週刊朝日の名編集長と呼ばれた、今は亡き扇谷正造先生に相談した。先生は、私の話を真剣に聞いてくれた後で、 「ところで君は、いったい年賀状を毎年何枚くらい書いているの。」 と私の目をじっと見据(みす)えて言った。
私はたじろぎながら「300枚くらいです。勿論自前の年賀状です。」と少し自慢げに答えた。
「少ないね。自分で仕事をするには、最低500枚くらいは書ける様になってからでなくちゃ駄目だよ。」と忠告された。

時節を得て、いよいよ独立する年になった。お店の開店披露をすることにした。その時、私は交友録に記された500名を超える友人の中から200名の人達を特別に選んでお招きをした。思えば有難い先生のご忠告のお蔭であった。
私の交友録の中には、人生を歩むために無くてはならない心の師匠をはじめ、事業経営を教えてくれる道友あり、敬友ありと多士済々である。
親友には、紛(まぎ)れもない真友、深友、辛友ありである。私にとって、これらの人達は、無上甚深微妙(むじょうじんしんみょう)の縁(えにし)で結ばれた尊くもありがたい手づくりの人間関係の賜物である。
地縁、血縁の薄い異郷で事業を為(な)す者にとっては、出会った人様だけが何物にも代え難い尊い財産であった。
扇谷正造先生は、また「蚕(かいこ)だけが絹を吐く」の自著の中で、人生では、異なった三人の「人生の師」を持つべきであると自身の経験に照らして書いておられる。

1・禅のお坊さんのように世俗から離れ、損得を超えて正邪の意見を直言してくれる人。
2・原理原則を教えてくれる事業で成功した人。
3・同年輩の人で、何でも包み隠さず相談の出来る人。

お互いに自らの非力を悟り是非、謙虚に深く味わって見たい処世の教えである。
 

合掌




米山 昌英