ふくろう通信

平成24年 3月 5日
米山 昌英

春しぐれいつより僧と
          呼びにけん (三島・龍澤寺 中川宋淵老大師)


二月が「感じる春」ならば三月は「目に映る春」である。
風光る早春の2月1日から14日まで、中島 潔さんの「清水寺・成就院襖絵奉納記念 ― 生命の無常と輝き展」が、大阪のタカシマヤグランドホールで開かれた。
圧倒的な迫力で見るものの心を揺さぶり、4万3千人を超える記録的な来場者数を記録した。(中島潔ホームページより)訪れたたくさんのお客様を魅了しながら、大いなる夢と感動を与えて大盛況のうちに終わった。
今回も大阪方面に在住する知人、友人に声を掛けて会場に足を運んで頂いた。
声を掛けた皆さんから、「とても良かった。」という手紙や電話を頂き、昔を知る私にとっては誠に感慨無量である。

皆さんもご存知のように、わが社の年賀状、暑中見舞状は、毎回中島さんが忙しい合間を縫って特別に書いてくれるオリジナル作品である。この「ふくろう通信」のふくろうの絵もまた同様である。
「中島 潔さんとは、どういうご関係ですか。」と、中島さんの名声が高まるに連れて、最近はよく聞かれるようになった。私は、努めて中島さんとの関係を語ることをしてこなかった。
今回は、大阪、京都、名古屋の方々にも随分とお世話になり、その都度中島さんとの関係を聞かれて閉口した。
風の画家として世に出て40年といえば、私とのご縁も同じくらいの長さということになる。誠に夢のような歳月が流れたものである。

中島さんとの出会いは、高見澤電機の高橋社長さんの著書「再建日記」(産業能率短期大学出版部刊行)の中で、中島さんのイラスト画を見たのが最初であった。まだ先生が30歳に成らない時で、絵描きとしては無名の頃のことである。
描かれたイラストの並々ならぬ筆力と表現の巧さに、私はたちまち魅了されてしまった。
そして何よりも中島さんの謙虚で、誠実で、行き届いた心配りを忘れない人柄を一遍に好きになってしまった。
佐賀県の唐津出身であること、母の死のあと、後妻の義母(はは)をどうしても受け入れることが出来ず逃げるように故郷を離れたこと、絵を描きたい一心だけで、伊豆下田の井戸掘りをしながら絵を描いていたこと、特に師事した絵の師匠も無く画風は独学であること、等を知ったのは付き合って数年経ってからのことである。

私は、昔から中島さんの描く子供の絵が大好きだった。今でもその気持ちに変わりが無いが、中島さんは画家としての大成を目指して、「女性画」にずっとこだわってきた。
その頃、毎年仕事納めを済ますと、きまって二人で落合って、過ぎ去った一年間を振り返りながら新しい年の夢を語り合うことが続いた。この習慣は、中島さんがしばらく唐津に転居するまでの間、ずっと続いた。

中島さんとのお付き合いが深まるにつれて、何とかこの素晴らしい絵を、たくさんの人々に見て欲しいと、私の想いは高まるばかりであった。
昭和56年の暮であったと思う。
「中島さん、最近の絵はとても良いですね、一度個展をやりませんか。」 とお誘いしてみた。
「まだ私の絵ではどうでしょうか。個展が出来れば絵描きとしては、こんなに嬉しいことはありませんが_。」
ということだった。
年が改まり、早速旧知の小田急百貨店の美術部長さんに相談した。感触は悪くない。出来れば一週間で、700万円位の売上が欲しいということだった。
「700万は少し荷が重いかな。」と思案しながら準備に入った。個展開催は、その年の5月のゴールデンウイークと決まった。

そんなある日、教育評論家の阿部 進先生が、手伝いをさせて欲しいとお見えになった。その後、中島さんのマネジメントを手掛けた方である。
1982年(昭和57年)準備も順調に整い、初めて「風の画家・中島 潔展」が小田急百貨店七階の美術画廊で実現した。
NHKテレビも、個展の初日の朝、スタジオ102で中島さんをゲストに呼んで後押しをして頂いた。
シンガーソングライターのさだまさしさんも、ラジオやライブで中島さんの個展のことを、しっかりとPRして祝福して呉れた。中島さんとさだまさしさんとのご縁も、実はわたしが経営する銀座の店が取持つ縁で始まった。これについては、また別の機会に譲る。

初めての個展は、小田急百貨店でも珍しいほど、連日大盛況のうちに終了した。何もかも巧くいった。大勢の皆さんのお力添えのお蔭であるが、なんといっても中島さんのお人柄と絵の素晴らしさが大きかった。

いま中島さんは、画家として集大成の道を歩まれている。社会的な名声も得られ、見る者の魂を揺さぶる絵を描き続けることが出来る。大病を克服してからの絵は、実に清々しく、そして明るく、みる者の心を和ませてくれる絵が描かれている。ほんとうにわがことのようにうれしい。

「一瞬の風の動きを見事に捉える。」(阿部 進さん)という、天才的な躍動感あふれる中島さんの画風が、ようやく完成に近づいて来た。
これからは、健康に気をつけながら、後世に誇れる良い作品を、精力的に書き上げて欲しい、と心より祈念するばかりである。

 

合掌




米山 昌英