ふくろう通信

平成24年 9月30日
米山 昌英

名月の雲の上ふむ
          影法師(ぼうし) (龍澤寺・中川宋淵老大師)


有難くも尊い創業40周年を迎えることができた。
20年、30年を迎えた節々で、ご縁を頂いた皆様に感謝を伝えて、歓びを分かち合ってきた。しかし満40周年というと、また格別である。50周年を迎えることは、私が生きている間にはもう不可能になるかも知れない。
そんな思いを込めて満40周年は、各お店をご贔屓にして下さっている大切なポイントカードのお客様の中でも、特別なお客様「ダイヤモンド、ゴールド会員」の皆さんに特別創作菓子(チーズケーキとチョコレートケーキ)をお送りすることにした。

約1,000人近い会員の皆さんに突然お送りしたので、ビックリされた方も何人かあったが、おおむね好意的に受け容れて頂き、面目を施した。沢山の方からお礼のお手紙を頂き、想像以上の反響にこちらが驚かされた。
頂いたお礼状は、一人ひとり熟読させて頂いた。お手紙から伝わってくる感謝の心が心地よく我が胸に響く。達筆な墨字で書かれた封書のお手紙も沢山いただいた。長い至福の時間に没頭して、時の過ぎるのも忘れる程であった。考えてみれば、我々が40年も会社を続けて来られたのは、みんなこの方々のお蔭である。高田馬場店の開店から40年間も、ずっと通い続けて下さったお客様が現在でも沢山おられる、ということは我々にとっては、誠にお宝以外の何物でもない。このような大切な方々にこの度ほんとうに心から喜んで頂く事が出来て、こんなに嬉しいことはない。

練馬に廣徳寺という臨済宗大徳寺派の名刹がある。私が暁天(ぎょうてん)坐禅会に通っていた頃のある日曜日の朝の出来事である。海雲和尚さんが呼んでいるというので、知客寮(しかりょう)(応接室)を訪ねると一幅の墨蹟(ぼくせき)を下さった。
「雪を擔(にな)って古井(こせい)を填(うず)む」と書かれた鮮やかな一行書は、禅機が深く充満し、その墨気はさすがに四方を払うような冴え方であった。
福冨海雲和尚さんの室号である「擔雪(たんせつ)庵」に由来する禅語である、とすぐに得心した。何もかも和尚の心が読めた。熱いものがこみ上げてきた。
墨跡の由来と和尚の日常底が重なり合って、大きな文字が次第に霞んで見えた。
雪を担(かつ)いで古井戸の中に填(うず)めても春になると雪が解けて、元の木阿弥(もくあみ)となってしまう。填めても填めても填め切れない無駄仕事を生涯続けながら、大慈大悲、衆生済度の修行生活を続けて行くという和尚の生き方をあらためて内外に示されたものである。(この部分は廣徳寺たよりから一部引用した)
「雪を擔(にな)って古井(こせい)を填(うず)む」という生き方は、何も禅者だけの生き方であってはならない。むしろ世俗の埃に汚れた我々の生き方の中にこそ、大いに生かされるべき禅語である。

時代のテンポが速くなり、合理的で無駄のない生き方が誉められ、世を挙げて目立ちたがり屋のはびこる社会では、縁の下の力は嫌がられ、無駄な仕事は毛嫌いされる。なんでもインスタントが重宝(ちょうほう)され、食べ物までが平然と手抜きされている。しかしそれで良いのであろうか。

我々サービス業の大事な部分は、良質な素材を使って美味しい商品を創り続けることと、濃厚な人的サービスである。お客様に満足して頂く為には、あえて面倒くさく、能率が悪く経費の掛かることを愚直(ぐちょく)に、しかもお客様の気の付かないところで、しっかりと陰徳を積ませて頂くという心を掛けて実行する。
一見無駄のような目立たない仕事も、手抜きせず、しっかりと確実に当り前に出来る。そういうわが社の社風を是非大切に育てて行きたいものである。

縁あって入社した従業員を手塩にかけて、やっと一人前に育てあげた途端に退社する。アルバイト・パートさんの出入りの度に、その都度同じことを教えながら、何回も無駄骨を折り続ける。大変な無駄の積み重ねをしているようだが、その中に汲んでも、汲んでも汲み尽くせない、味わい深い真実が得られて居る筈である。そういうことを40年間飽(あ)きずに続けてきたということである。失うばかりの人生ではない。
良い仕事をするために、真の心を磨く。それがそのまま皆さんの人格完成の道に他ならないのだ。そういうところまで行かないと、ほんとうにお客様に満足して頂く良いサービスは出来ないのではないか。
困難なことではあるが、しかしそれを我々は是非やりましょう。


 

合掌




米山 昌英