ふくろう通信

平成27年3月10日
米山 昌英

みの虫のところさだめし
            花の中 (三島龍澤寺 中川宋淵老大師)


 我が家の庭に咲いていた梅の花がようやく散り始めた。
この時期になるといつも思い出すのは、亡くなったフィリップ・アールデンテリオ( Philip・A・Theriault )さんのことである。
 今年2月9日、日本でいうところの23回忌を終えた。衝撃的な交通事故で妹のジネットさんと一緒にシアトルで亡くなったとても悲しい出来事である。
 当社の創業時代から役員を務めて頂き、私が最も尊敬し、頼りにしてきたテリオさんは、ニュ-イングランド系の米国人であり日本滞在が30年におよぶ知日家で、古い社員は、親しくそのけい咳に接して来た。
 古典音楽を趣味とし、芸術を愛し、美術に造詣が深く、西洋の歴史、東洋史、なんでもござれの素晴らしい方だった。
 特に趣味の絵画では、外国の主要美術館は、ほとんど見学したというのが、氏の自慢の一つであった。美術館でレンブラント等のポスタ-を求めて来ては、複製画の製作をして店に飾ってくれた。
 私は、テリオさんのお供をして英国や米国によく出かけた。特に、メルヘンチックな英国のカンタベリ-やシェ-クスピアの町、ストラットフォ-ド・アボンエイボン地方は、テリオさんのお気に入りの土地だった。バレーを見たりオペラを鑑賞したりした。
 私は会社設立のとき、
「是非テリオさんの名前を、会社に付けさせて欲しい。」と、お願いすると快く承諾して下さり、自分の事の様に力になってくれた。当社の一号店コーヒーショップ「カンタベリ」は、こうした氏の類い稀な感性と独特の美術感によって誕生した。
店のネ-ミングも新規のお店のデザインコンセプトも、季節の変化に合わせた店の飾りもすべて彼の独壇場だった。特に、クリスマスの装飾は、実に彼の独創であり、日本人の感性では、とても真似の出来るものではなかった。彼の作品は、彼の「こころ」そのものだった。
 昭和60年4月、決心して米国に帰ることになった。
昭和58年秋ごろ「検査で、肺に異常が発見された。どこか良い大学病院を是非紹介して欲しい。」という電話がかかった。私は躊躇した。私は迷いに迷って奔走した。大事をとって、シアトルから妹のジネットさん(この度の事故で一緒に死亡)にも来て頂き、多くの友人達にも相談して、結局日本で手術をする事にきめた。
 早速、友人に東京女子医大を紹介して頂き、精密検査の結果、やはり肺癌の恐れがあるという。額から脂汗を垂らしながら、主治医の言葉のひとつひとつを、けっして聞き漏らすまいと、医者の眼を凝視していた姿が、今でも鮮やかに思い出されて来るのである。
 その日は、生死の狭間で揺れ動く心の動揺を押えることが出来ずに、誠に気の毒な程の憔悴ぶりだったが、代田橋のキリスト教会から帰った次の日には、実に見事な平常心でびっくりした。
手術をするとなると、かなり高額の治療費を覚悟しなければならない。
幸い当社で、健康保険証を取得していたことが、日本で手術を決心する大きな要因となった。
永いおつきあいの中で、初めてご恩返しらしい真似ごとができて、この時ばかりはとてもうれしく思った。
 手術が成功して退院の後、家族を持たないテリオさんは、将来のことを考えて、兄弟の中でも特に親しいジネットとロ-レンスの住むシアトルに戻って第二の人生を歩む決心をした。
 幸いに、術後の経過も順調で彼の得意なアンテック家具を商売にすることにした。お店の経営が軌道に乗るまでには、随分とご苦労が多かったように私はシアトルを尋ねるたびに感じた。
 私は、テリオさんが帰国後も、ずっと私共の会社の役員として処遇することを決め、年に一度は航空券を送って、日本に来て頂き、今まで通りのご指導をお願いした。それも、私が娘を亡くしてからは、「ミスタ-米山に会うのがとても辛い。」と、毎年楽しみにしてきた日本にも、ばったり来なくなってしまった。
 日本航空の親友大友さんが、忌明けに出した私の挨拶文を、通訳して読んで聞かせたとき、ジュ-タンを大粒の涙で濡らしているのも気づかず、じっと手を合わせて悲しみに耐えていた、ということを帰国後聞いた私は、体の中を熱いものが走るのを感じた。
 私はテリオさんを評して、「最も日本人らしい日本人の心を持ったアメリカ人」という言葉で彼を賞賛して来た。
 デリケ-トな神経で細心の心配りをしながら、けっしてそれを人にひけらかすこともなく、いつも相手の身になって、自分を犠牲にしてゆく。
 彼は、私の持たないすべてのものをもった得難い大切な友人であり師匠だった。お別れの言葉を交す間もなく、彼は天国に逝ってしまった。
 いま小田急百貨店新宿店の3階にある「フィリップス ガーデン・カフェ」は、テリオさんの功績を永く顕彰するためにつけた店名である。
 氏から頂いた温もりは17回忌を終えた今も私の心からけっして離れることはない。心からご冥福をお祈り致します。

合掌




米山 昌英