ふくろう通信

平成27年10月05日
米山 昌英

いつまでも振りし隻手せきしゅ
           秋のうみ (三島龍澤寺 中川宋淵老大師)


 秋の長雨と共に切々とした哀調が似合う季節となった。
 自宅のお隣のご主人が、肝硬変で突然吐血して亡くなった。奥さんと子供2人を残して51歳の旅立ちである。22年前に倒れた私の義兄(姉の主人)とまったく同じ病状であった。
 肝臓は「沈黙の臓器」といわれ、実に忍耐強い臓器であるという。それだけに劇的に悪くなるまでつい無理をしてしまう。

 私にも苦い経験がある。
 27年前の夏の出来事である。丁度51歳の時である。風邪の症状が続いた。身体がだるい。医者は風邪だという。微熱が続いて体が重い。いつもなら風邪薬を飲めば、一晩で直る。それが一週間も続いているのだ。そんなある月曜日の朝のことである。起きようとしたがどうしても起きられない。自分の体が自由にならない。異常事態である。掛かりつけの近くの診療所に出かけた。
 診察を受けていると突然、看護婦さんが「黄疸が出ている!」と。
早速府中病院を紹介されて行くとそのまま入院することになった。病状は急性肝炎であるという。しかし実情はけっしてそんな甘いものではなかったようである。知らないのは本人だけである。妻は、先生から「劇症肝炎」の恐れがある、と言われ一両日いちりょうじつが山であると脅かされた。かなりの重症であった。肝機能のGOTは4,300を軽く超えていた。
 海の事故で最愛の娘を亡くした次の年の出来事である。家人は、2年連続で葬式を出さなければならないかと途方に暮れた。幸運にも無事に40日間の治療を終えて、奇跡的に生還した私は、肝臓の怖さと大切さを痛感した。同時に人間は、生きたいと思ってもどうにもならない運命があるということを思い知らされた。人は何かによって生かされているという知命のことである。きっと先に亡くなった娘が、私の身代わりになって呉れたのだ、と深く感謝し反省した私は、以後、アルコールを一切絶つ決心をした。心に誓ったのである。「一日も永く生きて、娘の供養をしなくてはならない」と。
 医者は、数値を見ながら完璧に治っているとビックリしていた。しかし退院後も横隔膜の近くに体を動かすたびに違和感があり、それがどうしても取れないでいた。
 ある日、婦人服を販売している株式会社キャビンの平明ひらあきご夫妻と栃木のゴルフ場でプレーをした。私の顔に少し湿疹が有るのを見て、平明社長が、「私が通っている痛み研究所に是非行くと良いよ、前坂先生を紹介するよ」と言われた。経絡けいらくを温めながら治療する東洋医学の治療方法で、評判の先生であるという。先生曰く「あなたの肝臓は、西洋医学では治っていると言うが、私が診るとまだ肝臓が腫れている。この腫れを取らないと再発するね。」と言われた。
 詳しい治療方法は省略するが、以後4年間にわたってお世話になった。横隔膜の違和感も自然に消えた。最初の頃、治療のたびに経験した火傷のような熱さも、いつしか心地よい熱さとなっていた。私の肝臓は完全に治癒していた。前坂先生は「完全に腫れがとれているよ。もう大丈夫です。」と励ましてくれた。

 私の周囲にもGOTの数値が、50を超えて平気で酒を飲んでいる人が何人も居る。とても心配であるが本人達は至って軽く考えている。ほんとうの怖さを知らないのだ。肝臓はいとってあげるとしっかりと良くなって応えてくれる。他の臓器と一番違う所である。再生能力が頗る強い臓器である。
 先週国立市の健康診断で検診を受けた。全ての項目でOKが出た。次いでの腫瘍マーカーをお願いして、各種の検査も実施した。これもパスをした。神様がもう少し生きて、娘の供養をしなさい、と耳元で囁いているような気がした。33回忌までは生きたいものである。
 捨てる神もあれば拾って下さる神もある。心次第である。誠に一得一失である。

合掌




米山 昌英