ふくろう通信

平成29年06月20日
米山 昌英

安居あんごの一日糞を
       ひとつづつ (龍澤寺 中川宋淵老大師)


 長い間、気にもしないで家人の鏡台から取り出し、利用していた「カット綿」が、なぜか急に気になって来た。最近の出来事である。
 毎朝食事後、新聞を持って家人の鏡台の中からカット綿を一片持ってトイレに入る。朝のルーチンワークである。
 ある朝、何気なくカット綿を取り上げようとして、なぜか一片だけが取り出し易いように見えた。思い出してみると毎朝そうである。「そうか!家人がいつも私のために心を立てて呉れていたんだ。」熱いものが込み上げてきた。
 その後、注意深く見ていると、様々なことに心を動かされた。朝起きると下着が上下、いつも布団の左側にきちっと畳んで置いてある。ズボンを履こうとするとしっかりアイロンをかけてある。朝出かけようと玄関に出るとその日の靴がきちっと綺麗に磨いて揃えてある。何もかも心に残る有難いことばかりである。
家内の和子と結婚したのは、私が24歳の12月8日のことであり、既に56年前のことである。金婚式も二人してつつが無く元気で迎えることが出来た。
 56年の結婚生活で、悲しいことや耐え切れない苦しみもあったが、いつも爽やかな春風のような妻がすぐ側で助けてくれた。私の会社がそれなりに存在感を示すようになると、妻も遅れることなく人間として成長を続けて呉れた。
 若い時から気が短く、他人を思いやることの少なかった自分の精神を少しでも変えてみたいと坐禅を始めた。36歳の秋である。
 坐禅に初めてご縁を繋いでくれた人は、銀座の有名なうなぎ屋「竹葉亭」の主人、今は無き別府信雄社長である。
 私がサラリーマンを辞めて独立をする決心をした昭和48年の秋、東京都食品健康保険組合の理事会のメンバーと箱根に出かけた時のことである。小田急のロマンスカーの車中で、別府社長が「米山さん‼ あなたの独立に私は、何もお祝いが出来ないが、是非三島に龍澤寺という禅寺があります。そこにどえらい・・・・本物の禅僧がおります。紹介するから是非、時間を作ってお出掛けください。」「きっと貴方の仕事にも、あなた自身の成長にも掛替えのない財産になりますよ。」と言って中川宋淵老大師を紹介して頂いた。最初のご縁である。
中川宋淵老大師は、東大を出て禅僧になった臨済界のホープであり、その名声は世界にまで聞こえていた本物の禅僧だった。この辺の詳細なエピソードは、後でまとめて「ふくろう通信」に書いてみるつもりである。
 気がついてみると中曽根首相が、谷中の全生庵で坐禅をするようになったずっと前から、毎週日曜日の夜は、平井正修現和尚のお父さんで、今は亡き平井玄恭老師の元に通って坐っていた。
 玄恭老師は、三島の龍澤寺の中川宋淵老大師の師匠であり、近代の禅僧の中でも盲目の禅僧として、最も有名な山本玄峰老大師の侍者として、15年間も仕えながら修行を完成させた禅僧である。
 ある夜のご提唱の折、玄恭老師が昔から「軽い痔もち」であり、カット綿のお蔭で、重症にならずに手術もせずに過ごして居る、という話を聞いた。それを聞いて早速私も実行した。排便の時の不快感がとれて、実に爽快であった。
 「一片のカット綿」の逸話は、現在でもずっと生きているのである。
縁というのはほんとうに有難いものである。


合掌




米山 昌英