ふくろう通信

平成30年05月20日
米山 昌英

いろは(紅葉)散り人も散りきる
        日の光 (三島・龍沢寺 中川 宋淵老大師)


 四谷ロータリークラブで異色の開業医として、また赤ひげ先生として鳴らした牛尾益行氏が16日(水)に突然亡くなった。83歳だった。
 その夜8時半ごろ、娘婿の加藤達夫さんから電話を頂いた。達夫さんは、小田急電鉄が経営するセンチュリーハイアット東京の社長を務めた加藤三朋氏のご長男で、牛尾さんのお嬢さんの嫁いだ先である。
 実は、達夫氏の縁談には、少しばかり私が関わっていたので、それについては後で述べる。電話は妻が受けた。傍で聞いていた私は、達夫さんのお父さんが亡くなったのかと最初は思った。不謹慎な話だが、三朋氏は、すでに88歳の米寿を過ぎていた。若い牛尾先生が亡くなったというのである。実に驚いた。先週木曜日に例会で元気な先生に会ったばかりである。
 妻に代わって詳細を聞いた。何年か前に入院した後、定期的に掛りつけの病院に出かける矢先、玄関で倒れた。脳梗塞であるという。
 ロータリーの例会で牛尾先生に毎週木曜日お目に掛かっているうちに、先生のお人柄に惹かれて親しくなった。先生は、毎年恒例の忘年家族会に家族全員で参加するのが通例であった。先生には二人のお嬢様が居た。二人共、とても魅力的な方達であった。「いいお嬢様達だなー」と、初めてお目に掛かったとき、とても強く印象に残った。「うちの息子の嫁に欲しいなー。」と思ったものである。
 冒頭赤ひげ先生と書いたが、決して治療費をとらない医者ではない。雰囲気である。患者の症状をしっかり聞いて、正確な判断をくだす。自身の手に負えない患者には、大きな病院を紹介する。病気の大小に拘らず、実に親切に対応してくれる。ロータリーの仲間からは、絶大な信頼があった。事実何人かの者が命を助けられている。
 私は、長い付き合いの中で、風邪薬を頂く程度であったが、常に体調に関して気楽に相談し、心のケアをして頂いた。
 葬儀まで、何日か空いたので、是非お別れをしたいと思って居たところ、
19日(土)11時から一時間位、斎場でお別れが出来ると連絡を受けた。ロータリーの仲間の小畑夫妻と税理士の武田先生と私たち夫婦5人で、ご遺体とお別れをすることが出来た。眠るようなお姿と普段見せたことのない真面目過ぎる顔をした実に綺麗なお顔だった。
 長い間、頂いたご縁の深さとご厚誼が走馬灯のように頭をかすめた。
 方子まさこさんとのご縁組をまとめたことで、少しは御恩返しが出来たのではないかとお別れをしながら思った。
 お世話になっていた小田急電鉄の加藤三朋氏が、センチュリーハイアット東京の社長に在籍していたある日、食事をご一緒する機会があった。
 息子の嫁さんを探しているという話が出た。「米山さん!どなたかお世話してくれませんか。」と言われた。その時、すぐに牛尾先生の方子まさこさんの顔が浮かんだ。お話をしてみると話がとんとん拍子に進んだ。
 達夫さんと方子さんとの間に生まれた息子さんは、その後医者を目指して、いま東京医大の6年生である。牛尾先生の自慢の孫で、診療室に写真を飾って孫の成長を楽しみにしていた。私は、先生から孫の話が出て、自分の内孫のように言われると少しばかり加藤家に済まないような気がしたものである。
 しかし私のそんな心配は全く不要のようである。方子さんも加藤家に心を砕き、両家が実に仲が良く、自分たちの本当の両親のように行き来している姿を見てとても安心し羨ましく思った。
 いま、先生とは幽明境をことにしたが、牛尾先生から頂いた親切心は、残されたご家族の皆さんと益々絆を深くして行く礎になった。
 誠に有難いご縁を頂いたものである。


合掌




米山 昌英