ふくろう通信

平成31年1月1日
米山 昌英

立ち返り立ち返りつつ
       祖師の春 (三島・龍沢寺 中川 宋淵老大師)


元朝の粛々とした冷気にひたり、静かに一炷いっちゅう坐り、自らの来し方を正す。
半寿も過ぎました。体力、気力に余力のある新年の挨拶を以て結びとし、以後のご挨拶は欠礼させて頂く事に致します。
練馬の広徳寺の担雪庵福富海雲老大師に昔から70歳を迎えたら世間的に「義理をかけ」、「金をかけ」、「恥をかけ」の三つの教えを徹底すれば、晩年は気楽に生きられる」、という格言を教えて頂きました。
半寿を超えてなお、生かされている只今(ただいま)の今に、深くふかく感謝し、新しい年を元気で迎えられたよろこびでいっぱいです。
どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。 合 掌
平成三十一年元旦


 早いもので会社創業以来満46年目の新年を迎えました。
今年も2,800枚の年賀状を書き終えてようやく元旦を迎えることが出来ました。
 東京新聞の「筆洗」で年賀状に関する面白い記事を拝読した。
鬼平犯科帳などの作家、池上正太郎さんは、新年を迎えるとおもむろに年賀状を書き始めるという。随分遅い年賀状だと早とちりしてはいけない。この年賀状は、来年の年賀状を今から書き始めるというのである。恐れ入った念の入れ方である。数千枚の年賀状を年末になってから書くのでは、とても間に合わない。春に刷り上がった来年の年賀状を毎日10枚ほど書いて行くという。
 私の場合は、まず中島先生に原画を書いて頂き、文章を創り、印刷し、毎年2,800枚の賀状を自宅に帰ってから添え書きを始めると、どんなにまじめに書いても毎日100枚は難しい。添え書きに要する日数はほぼ一ヶ月は掛かってしまう。大変な労力である。ましてや歳末の超多忙な時期にてんやわんやの毎日である。
 何年か前の「ふくろう通信」にも書いたが、年賀状を元旦の朝、抱えるようにして郵便ポストから持ってくるときの快感は、けっして忘れることが出来ないものである。そういう余感を楽しみながら、いつしか81歳の新年を迎えることになったのである。
 いつも読み手の心に思いを馳せ短い添え書きを書く、簡単の様でこれがなかなか難しい。私が添え書きを書き、家内が年賀切手を貼り、そして赤インクで年賀のスタンプを押す。
 二人にとっては、一年間のご無沙汰を謝し、来る年の弥栄いやさかを念じながら少々の手間は、当たり前と思って今日まで来たのであるが、やはり歳には勝てなく、添え書きを続けることが段々重荷になって来たのは事実である。
 練馬の広徳寺の担雪庵福冨海雲老師の教えに従うと70歳を10歳も過ぎた齢を考えれば、これからは少々の義理を欠いても皆様からお許しを頂けるのではないかと勝手に納得しているのである。
 もう少し早く池波正太郎先生のやり方知っていれば、チャレンジをしても良いかなー、と思いながらそろそろこの辺で、世間の常識に従っても、お許しを頂けるのではないか、と思っているのである。誠に勝手な言いぐさで只々恥じ入るばかりである。
 どうぞ皆様には、良いお年をお迎えのことと心よりお慶び申し上げます。


合掌




米山 昌英